【体験記-09】遺体収容に出る(昭和十三年九月二十九日)
- 2015/02/08
- 15:28
湯公泉(とうこうせん、標高462m)付近で第一大隊に損害が続出した。千田町の岩原少尉も戦死したと聞いた。その夜、敵は退却した為、大隊の遺体収容が行われた。小雨がシトシトと降っている。山頂付近に集積された遺体を山の中腹の集積場へ運ぶので二人一組となる。私は中西上等兵と組になった。月夜だが曇っており、うすぼんやり明るい。死体の脇の下と足首を抱えて持ち上げたが重く歩けそうにもない。上等兵と相談し、巻脚袢を解...
【体験記-08】小隊長に罵倒さる(昭和十三年九月二十五日)
- 2015/01/03
- 13:18
その日は朝から雨がシトシトと降っていた。敵を追撃する為、低い山を越えていた。赤土の山だったので靴に土が付き滑り、行軍は難儀していた。私は指揮班の観測機材を担いだ馬の取兵が何か都合が悪かったのか、私が代わって馬を索いていた。山中の行軍の常として歩いたり止まったりしながら進んでいた。その時、小隊長の乗馬の後ろを歩いていた所、止まった時に私の索いている馬が、蹴る癖があったのか私の膝を蹴ったのである。私は...
【体験記-07】組を作る(昭和十三年九月二十日頃)
- 2014/12/27
- 11:24
戦闘に少し慣れてきた二十日頃、兵二人の組を作るように命ぜられた。それは炊爨(すいさん)する際に二人組だと一人は米を洗い、もう一人は薪を作ったり火を燃やすことで短時間で食事が終わるからである。私は曹長が後退してからは一人で炊爨をしていたが、何かと不便であった。そこで同じ指揮班の二年兵の宮崎有平上等兵が私と組になろうと仰ってくださった。宮崎上等兵は身長五尺六寸位、体重80kgの体格の良い人で気立てが優しく...
【体験記-06】木石港で同郷の友に会ふ
- 2014/12/20
- 12:25
瑞易を出発した後、各所で戦闘しながら瑞祥〜木石港〜陽新〜(大治の鉄山を右に見て大きく左折して)金牛鎮〜賀勝橋駅を占領する。木石港を占領して待機中、内地より補充に来た部隊の中に次場(注:実家のある集落名)に西屋 重義 氏、新屋 庄明 氏 の二人の姿を見て、お互いに驚く。戦闘中のこととて故郷の話を十分に聞く暇は無かったが、遠く離れた戦地で顔を合わせ得たことは嬉しい限りである。何れ我が聯隊の中隊へ編入になる...
【体験記-05】戦中雑感
- 2014/12/07
- 12:57
戦地へ来て、また戦闘に出て初めて気がついたのは、戦地へ来たからには金鵄勲章(きんしくんしょう)を貰わねばと危険を顧みず砲手や観測手を希望していたのだから、勇猛な指揮官の居ない所にその様な殊勲甲の働きがある道理がないということである。戦功を挙げても、それをチャンと上司に報告できる小隊長でなければならないのである。言い換えれば甲斐性のない小隊長の下に手柄を立てても無駄になるという懸念があった。十一月十...